2017年02月10日
行くぜ、東北。
「旅行読売」をパラパラとめくっていたら目に飛び込んだのが
「三陸に来て・見て・食べて・乗ってけろ!」

※画像:旅行読売出版社
おでんせ「いわて」旬彩味旅2日間
お一人様19,990円(20,000円でいいのに)
1日目
東京・上野・大宮駅→仙台駅→遠野(岩手)→浄土が浜→休暇村陸中宮古(泊)
2日目
田老地区(震災跡)→北山崎(リアス式海岸)→普代駅(三陸鉄道北リアス線)→久慈駅→仙台駅→東京・上野・大宮駅
という旅程のツアー。
ちなみに私は「あまちゃん」は見ていなかったし、伝説の駅弁「久慈駅うに弁当」を買いたかったワケでもない。募集ページに載せられていた海沿いを走る三陸鉄道汽道車の写真に目を奪われた。

2011年、テレビのCMがAC(公共広告機構)から通常の企業CMに戻り始めた頃、私は2週間の新潟出張を終え4日間の休暇をもらい東北をまわってきた。
妻に新幹線で新潟まで来てもらい車に乗せて国道7号を北上、初めての日本海に沈む夕陽を見てから庄内平野、秋田道を通り青森駅前に宿泊。

当初は八戸市を目指していたのだが、日程が厳しく翌日は酸ヶ湯温泉経由で八幡平に寄り、盛岡市白龍本店のじゃじゃ麺を体験して盛岡駅前に宿泊。

さてここからがこの旅の本当の目的が始まる。
1000年に1度と言われた東日本大震災。
その惨劇は各局連日で報道されてはいたが、場所は違えど自分も同じ揺れを体感した未曾有の大地震爪跡をどうしても自分の目で見ておきたかった。
盛岡市から宮古市浄土が浜に向かう。道中は快晴で綺麗な川沿いを走る気持ちの良いドライブだった。
だが市内に入ると私達2人は言葉を失った。
3.11から5ヶ月も経っているのに。釜石・陸前高田・気仙沼もひどかった。ばかデカい建造物が道路に倒れたままだし、大きな船が陸地に何隻も乗り上げている。また市と市を結ぶ国道沿いのいたるところに積み上げられたガレキの山々。奇跡の1本松も近寄れない。
そんな中、プレハブで簡易的に作った小さなLAWSONが頑張って営業しているのがとても印象的だった。
南下を続けてたどり着いた南三陸町は町自体が消滅していた。
道路は多少造成されていた部分はあったが、まだいたるところに海水が残っている。最後まで避難指示の放送を続けていた南三陸町防災庁舎の鉄骨がまだむき出しになったままだった。

日本三景・松島では被害がほとんど見られなかったことに少し安堵して国分町で牛タン定食、秋保で日帰り温泉入浴後仙台市内泊。
翌日、名取市に出るまでに高速道路の脇の田んぼにひっくり返った船と廃墟と化した街並みを目にした。
住宅は無数にあるのに誰1人いない。
倒壊してる家も多く腐敗臭もひどかった。
さらに南下して当時は連日騒がれていた避難地域に向かった。のどかな里山だがやはり人はいない。民家はガラスが割れ、田んぼは荒れ果てていた。
集落の車1台がなんとか通れるような小道を進んでいって浪江町との町境に近づくとそこには警官が立っていた。こんな道まで塞ぐのかと思いながら引き返しそのまま帰路についた。
岩手の宮古市から福島の南相馬市まで。あのときはその惨状に、見ておいてよかったなぁ、という気にはあまりなれなかった。
あれからもうすぐ6年。ようやく復興の知らせもちらほら耳にするようになってきた。
まあ動機はなんであれ、現地に出向くことが1番の応援と信じて人生初のツアー旅行に参加してみることにした。
復興の象徴になっている三陸鉄道の汽車の車窓からはどんな風景が見られるのだろう。
頑張ろう東北!
「三陸に来て・見て・食べて・乗ってけろ!」

※画像:旅行読売出版社
おでんせ「いわて」旬彩味旅2日間
お一人様19,990円(20,000円でいいのに)
1日目
東京・上野・大宮駅→仙台駅→遠野(岩手)→浄土が浜→休暇村陸中宮古(泊)
2日目
田老地区(震災跡)→北山崎(リアス式海岸)→普代駅(三陸鉄道北リアス線)→久慈駅→仙台駅→東京・上野・大宮駅
という旅程のツアー。
ちなみに私は「あまちゃん」は見ていなかったし、伝説の駅弁「久慈駅うに弁当」を買いたかったワケでもない。募集ページに載せられていた海沿いを走る三陸鉄道汽道車の写真に目を奪われた。

2011年、テレビのCMがAC(公共広告機構)から通常の企業CMに戻り始めた頃、私は2週間の新潟出張を終え4日間の休暇をもらい東北をまわってきた。
妻に新幹線で新潟まで来てもらい車に乗せて国道7号を北上、初めての日本海に沈む夕陽を見てから庄内平野、秋田道を通り青森駅前に宿泊。

当初は八戸市を目指していたのだが、日程が厳しく翌日は酸ヶ湯温泉経由で八幡平に寄り、盛岡市白龍本店のじゃじゃ麺を体験して盛岡駅前に宿泊。

さてここからがこの旅の本当の目的が始まる。
1000年に1度と言われた東日本大震災。
その惨劇は各局連日で報道されてはいたが、場所は違えど自分も同じ揺れを体感した未曾有の大地震爪跡をどうしても自分の目で見ておきたかった。
盛岡市から宮古市浄土が浜に向かう。道中は快晴で綺麗な川沿いを走る気持ちの良いドライブだった。
だが市内に入ると私達2人は言葉を失った。
3.11から5ヶ月も経っているのに。釜石・陸前高田・気仙沼もひどかった。ばかデカい建造物が道路に倒れたままだし、大きな船が陸地に何隻も乗り上げている。また市と市を結ぶ国道沿いのいたるところに積み上げられたガレキの山々。奇跡の1本松も近寄れない。
そんな中、プレハブで簡易的に作った小さなLAWSONが頑張って営業しているのがとても印象的だった。
南下を続けてたどり着いた南三陸町は町自体が消滅していた。
道路は多少造成されていた部分はあったが、まだいたるところに海水が残っている。最後まで避難指示の放送を続けていた南三陸町防災庁舎の鉄骨がまだむき出しになったままだった。

日本三景・松島では被害がほとんど見られなかったことに少し安堵して国分町で牛タン定食、秋保で日帰り温泉入浴後仙台市内泊。
翌日、名取市に出るまでに高速道路の脇の田んぼにひっくり返った船と廃墟と化した街並みを目にした。
住宅は無数にあるのに誰1人いない。
倒壊してる家も多く腐敗臭もひどかった。
さらに南下して当時は連日騒がれていた避難地域に向かった。のどかな里山だがやはり人はいない。民家はガラスが割れ、田んぼは荒れ果てていた。
集落の車1台がなんとか通れるような小道を進んでいって浪江町との町境に近づくとそこには警官が立っていた。こんな道まで塞ぐのかと思いながら引き返しそのまま帰路についた。
岩手の宮古市から福島の南相馬市まで。あのときはその惨状に、見ておいてよかったなぁ、という気にはあまりなれなかった。
あれからもうすぐ6年。ようやく復興の知らせもちらほら耳にするようになってきた。
まあ動機はなんであれ、現地に出向くことが1番の応援と信じて人生初のツアー旅行に参加してみることにした。
復興の象徴になっている三陸鉄道の汽車の車窓からはどんな風景が見られるのだろう。
頑張ろう東北!
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