2021年04月27日
楽しみにしていたキャンプ

眼からは涙が出てくるけど、なんとか運転できるくらい回復してきたので、これは週末のキャンプに行けるぞ!と判断した。

ほしあい眼科(受診待合室①)
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話し①
https://seasonbest.naturum.ne.jp/e3408631.html
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話し②
https://seasonbest.naturum.ne.jp/e3409454.html

ほしあい眼科(受診待合室②)
今回は友人とのキャンプを予定している。私の住む「さいたま市」は「まん延防止等重点措置」の発令が2日後(04/20火曜日)に決定されていた。なのでこの週末を逃すとまたしばらく自粛生活を余儀なくされてしまうのもあって、今回は俄然気合いの入るキャンプ。いつもは出掛ける直前に行うキャンプ道具の積み込みも、木曜日にはキッチリ終了、あとは当日に食材を仕入れるだけの万全の準備だった。
思えば前回のキャンプはコロナ禍が巻き起こるギリギリのタイミングで行けた8ママさんとの『イチゴキャンプ』(2020/02)

遥か空の教室〜イチゴキャンプ2020〜@星の降る森
https://hoshizoraroom.naturum.ne.jp/e3317016.html
もうこのキャンプが終わった時点で基礎疾患を持つ私は「緊急事態宣言が出ていようがいまいが、ワクチンが出来て集団免疫が形成されるまでキャンプは無理だろうな」と覚悟を決めていた。早くて3年?いや5年?私はその時まで生きていられるのだろうか?
しかし第2波、第3波と経験してきたコトにより、多少の知識もついてきた。どんなに不織布マスクにアルコール除菌液を用意してソーシャルディスタンスをとろうとも、近くに無症状のスーパースプレッダーみたいな人がいたらたぶんアウト。ならばどんなに美味そうなソバ屋を道路沿いに見つけようとも、どんなに白濁した眺めの良い硫黄の展望風呂があろうとも、「自宅とキャンプ場しか車から降りなければ行けるんじゃね?」との結論を出した。

本来なら少しでもリスクがあるなら止めるべきだろう。でも今回は行かねばならぬやんごとなき理由が2つあった。
①およそ3年ぶりの購入となった『NEW キャンプギア』の投入(しかも大物)
②1年2ヶ月ぶりのキャンプで『めろ&りん』に気分転換をさせてあげよう。

「そうだ、ガス缶も買っておかなくちゃ」と最終確認をしてウキウキしていた出発前日になって、友人からの電話。
「ててて、天気図を見ろっ!」

『ムムっ!』
『爆弾低気圧』の恐ろしさはよく知っている。しかし過去のキャンプでは行ってみて思ったより風が強くなかった時もあった。電話口で何も言えない私に友人は「こりゃ『延期』だなー」と早くも戦意喪失している口調で、私は泣く泣く『延期』の提案を受け入れた。
これでお互い翌日の予定は無くなり、友人から「どうせヒマなんだから、ウチに遊びに来い」と誘われ、私は車に積んであるキャンプ道具一式をブツブツ言いながら降ろして、翌日に友人宅へ向かうコトにした。

夏井の千本桜(福島県)りんご♀もうすぐ4才
翌朝の日曜日、風は穏やかで太陽の光が眩しい絶好の「キャンプ日和」だ。友人宅へ向かっている途中の道では、青い空に白い雲がゆっくりと流れている。
「さぁ、どれほどの『罵詈雑言』をヤツに浴びせてくれようぞ···。」

私はこのコトをずっと考えながら車を走らせ、正午頃に友人宅へ到着した。
彼はのんびりとキッチンでコーヒーの豆を煎っていた。それを見て私は一気に沸点に達し「おのれ、よくも1年2ヶ月ぶりの『キャンプ』を中止としてくれたな!」「今日の天候は最高のキャンプ日和!この恨み晴らさでおくべきかあああ!」と切りかかろうとしたその時!
『む、むぎちゃん···』
あああ、なんて可愛いのだ。私は振り上げた刀をサヤに戻し、ソファで焙煎された風味豊かなコーヒーを頂きながら、ひさしぶりに『仔猫』との戯れに時を忘れた。
「うちの子、すごくキャンプの素質あるんですよ~♡」
「キャンプ場着いても全然動じないし、とても賢い子なんですよ~♡」
『親バカ』もここまで来ると不思議と感心する。横にはテント泊100泊をゆうに越える我が家の兄妹キャンプ猫『めろ&りん』がいるにも関わらず、友人夫婦はニコニコしながら聞いてもいないのに『こむぎ』の愛らしさとキャンプの資質を話してくれた。

おっ、!やんのか?コラ。
落ち着いてリビングを見渡せばまだ3ヶ月の幼猫なのに、まーあるわあるわ『猫ちゃんグッズ』の数々。この溺愛ぶりは尋常では無いが、同じネコ飼い仲間としてはとても嬉しくなる光景だ。おそらく近いうちに、こむぎのイラストが描かれたマグやシェラカップなどを作り始めるに違いない。
なによ!
お互いのネコをケージに入れて対面させてみると、めろ&んりんの方から軽く挨拶代わりに「シャーッ!」と威嚇鳴きをしたが、こむぎも負けじと「シャーッ!」。幼ネコのうちからビビらずに威嚇できるとは大したモンだ。行く末が楽しみである。

やるじゃねぇか···。(めろん♂4才)
そんなこんなで3時間も長居してしまったが、ふと窓の外を見ると、庭の木が倒れるかのような暴風が吹き荒れていた。この風ですべては丸く収まりハッピーエンド。こうして「楽しい日曜日の午後」は幕を閉じた。
じゃあね、こむぎ。今度はキャンプ場で会おうな!
帰りは1度高速道路に乗るも、あまりの強風に煽られまくり、すぐに次のインターで降りて下道の国道をゆっくり帰った。
道の駅なみえ(福島県浪江町)
10年前はバリケードに立つ警察官に止められて入れなかった「浪江町」。ついに念願だった『本場でなみえ焼そば』を食べるコトができた。復興のシンボルとして建てられた道の駅もすごく立派な施設だった。
キャンプには行けなかったけど、いい日になったなぁ。
む~ぎ~は泣き~む~ぎ~は咲き~
明日へ育ってゆく~♪(麦の唄・中島みゆき)
2021年04月21日
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話し②
東京の有明港に午前5時着。そこで妻は電車で出勤するため別れ、私は新たに運転代行業者に15,000円ほど支払って、さいたま市の駐車場まで運んでもらった。
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話①
https://seasonbest.naturum.ne.jp/e3408631.html の続きです。

私の住む『さいたま市』には関東でも指折りの名眼科医がいる。病院の敷地内には往年の名機『EF66』と『EF81』が並び、最近、駐車場の入口には
『踏切』が設置されたマニアの心くすぐる眼科専門病院、それが『ほしあい眼科』。
院長に診てもらうと「あーこれは手術だねr。明日来れる?」
私の症状は『網膜硝子体出血』。おそらく吉野川に岩の上から飛び込んだ時に眼の中の血管が切れたのだろう。さらに『白内障』も進行していたので網膜のレンズを剥がし人工のレンズを眼球をちょいと切って入れると言う。
手術台に乗り私は「全身麻酔を希望します。」と告げたが「そんなの無い」と言われ眼の局部麻酔をされて、それからは私の眼をごちゃごちゃと長い時間いじられている。ひえ〜っ。
オペは30分ほどで終了、すぐに家に帰って良いと言われる。病院のサービスで自宅まで病院の車で送ってくれるのだが、両目を包帯でグルグル巻かれている私に「県立川口高校卒の○○さんですよね?」と病院スタッフに声掛けられた。
「私、同じクラスだった△△です!」
「あ〜△△クンかぁ!俺、野球部だったからあまり覚えていないけど、確かテニスやってたよね?」
「そうです〜」
思いがけない30年ぶりの再会となり帰りの道は昔話に花が咲いたが、結局懐かしい友の顔は見るコトが出来ずに帰宅となった。

ほしあい眼科(埼玉県さいたま市緑区)
https://hoshiai-ganka.com/
手術後約2週間で眼帯は取れて視力も順調に回復したが、本当の「試練」はここからの「治療」だった。
眼球の毛細血管がまた切れて出血しないように院長から「『レーザー治療』をするよ」と告げられた。私は最初ポカンと聞いていたが、続けて「眼にレーザーをあてて今後出血しそうな毛細血管を焼き切るんだよ〜」と聞かされた時には膝が震え出していた。
暗い別室に案内されると、そこにはメガネ屋で視力測定の時に使うような「覗き穴」がある、いかつい機械の前に座らされた。穴を見ると奥には赤い光が発射の瞬間を今か今かと待ちわびているようになんだかグルグルと回っているように見えた。
院長が「さあ、1発目いくよー!」と言った瞬間、奥に見えた赤い光の玉は一気に何十倍にも拡がり、私の眼球めがけて飛んできた。
ビビビビビ!と音を出しながらやって来たレーザー波は私の眼球の血管を焼き切ると共に、その衝撃で後頭部に激しい痛みをもたらす。
院長は「大丈夫〜?」と訊ねてくるが、大丈夫なワケが無い。私は言葉も出せずにうずくまっていると「ハイ、2発目いくよー」
そうだ、これは『波動砲』だ。ターゲトスコープで私の毛細血管に照準をあわせ、『エネルギー充填120%!3、2、1、波動砲発射!」
ピカッ!ズドーン!!

即座に『全身麻酔』の使用を懇願したが、またも「そんなの無い」と言われ1回目は10発ほど被弾、後日更にもう10発ほど被弾して終了。現代医学に「荒治療」という言葉があるのなら、まさにこの『レーザービーム』が『荒治療の筆頭』と言えるのではないかと思った。治療は終わっても衝撃による後頭部の痛みは続き、しばらくの間は、あの波動砲に撃たれる夢を何度も見た。
それからは名医のおかげで幸いにも「再発」はしていないが、これだけは記しておこうと思う。

それから約7年経った2021年4月上旬。左瞼が腫れ上がり眼からは涙が流れ続けている。花粉のせいだと思ってしばらく放置していたが、なかなか治らないので7年ぶりにまた『ほしあい眼科』に行った。
今回は眼にバイ菌が入って炎症を起こしているとの診断。マジかー。
それから1週間、私はすべての仕事をキャンセルして『絶対安静』に努めた。っていうより、明るいところで眼を開けられないので、そうせざるを得なかった、というのが本当のところ。なぜなら週末には1年2ヶ月ぶりのキャンプの予定があったから。
ー

私は普段は眼鏡の使用はしていないし、免許証も『眼鏡使用』にはなっていないが、日中の運転時には度付きのサングラスを使用している。白内障の手術をしているとやはりフツーの人より光が眩しく感じるためで、今までは透過率50%の『やや暗い』程度の色だったが、今回は例え眼が治りきらなくても、なんとしてもキャンプだけは行くぞ!と、『透過率85%』の1番暗いサングラスを作った。
ほしあい眼科で眼鏡処方箋を出してもらい、隣接のメガネ屋で1番安いフレームを選ぶが、やれ『乱視』やら、『カラー入れ』やら、『スーパーハードコーティング』やらと値段は増えていき、結局1本3万円。フツーのRay-Baより高くなってしまったが、まぁ仕方ない。
今回もまた2週間ほど仕事を休みずっと眼を閉じて過ごしていたが、総論としてこれだけは記しておこうと思う。。
わかっちゃいるんだけどねぇ。
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話①
https://seasonbest.naturum.ne.jp/e3408631.html の続きです。

私の住む『さいたま市』には関東でも指折りの名眼科医がいる。病院の敷地内には往年の名機『EF66』と『EF81』が並び、最近、駐車場の入口には
『踏切』が設置されたマニアの心くすぐる眼科専門病院、それが『ほしあい眼科』。
院長に診てもらうと「あーこれは手術だねr。明日来れる?」
私の症状は『網膜硝子体出血』。おそらく吉野川に岩の上から飛び込んだ時に眼の中の血管が切れたのだろう。さらに『白内障』も進行していたので網膜のレンズを剥がし人工のレンズを眼球をちょいと切って入れると言う。
手術台に乗り私は「全身麻酔を希望します。」と告げたが「そんなの無い」と言われ眼の局部麻酔をされて、それからは私の眼をごちゃごちゃと長い時間いじられている。ひえ〜っ。
オペは30分ほどで終了、すぐに家に帰って良いと言われる。病院のサービスで自宅まで病院の車で送ってくれるのだが、両目を包帯でグルグル巻かれている私に「県立川口高校卒の○○さんですよね?」と病院スタッフに声掛けられた。
「私、同じクラスだった△△です!」
「あ〜△△クンかぁ!俺、野球部だったからあまり覚えていないけど、確かテニスやってたよね?」
「そうです〜」
思いがけない30年ぶりの再会となり帰りの道は昔話に花が咲いたが、結局懐かしい友の顔は見るコトが出来ずに帰宅となった。

ほしあい眼科(埼玉県さいたま市緑区)
https://hoshiai-ganka.com/
手術後約2週間で眼帯は取れて視力も順調に回復したが、本当の「試練」はここからの「治療」だった。
眼球の毛細血管がまた切れて出血しないように院長から「『レーザー治療』をするよ」と告げられた。私は最初ポカンと聞いていたが、続けて「眼にレーザーをあてて今後出血しそうな毛細血管を焼き切るんだよ〜」と聞かされた時には膝が震え出していた。
暗い別室に案内されると、そこにはメガネ屋で視力測定の時に使うような「覗き穴」がある、いかつい機械の前に座らされた。穴を見ると奥には赤い光が発射の瞬間を今か今かと待ちわびているようになんだかグルグルと回っているように見えた。
院長が「さあ、1発目いくよー!」と言った瞬間、奥に見えた赤い光の玉は一気に何十倍にも拡がり、私の眼球めがけて飛んできた。
「うおおおおおおっ!」
ビビビビビ!と音を出しながらやって来たレーザー波は私の眼球の血管を焼き切ると共に、その衝撃で後頭部に激しい痛みをもたらす。
院長は「大丈夫〜?」と訊ねてくるが、大丈夫なワケが無い。私は言葉も出せずにうずくまっていると「ハイ、2発目いくよー」
そうだ、これは『波動砲』だ。ターゲトスコープで私の毛細血管に照準をあわせ、『エネルギー充填120%!3、2、1、波動砲発射!」
ピカッ!ズドーン!!
『うおおおおおおおっ!泣』

即座に『全身麻酔』の使用を懇願したが、またも「そんなの無い」と言われ1回目は10発ほど被弾、後日更にもう10発ほど被弾して終了。現代医学に「荒治療」という言葉があるのなら、まさにこの『レーザービーム』が『荒治療の筆頭』と言えるのではないかと思った。治療は終わっても衝撃による後頭部の痛みは続き、しばらくの間は、あの波動砲に撃たれる夢を何度も見た。
それからは名医のおかげで幸いにも「再発」はしていないが、これだけは記しておこうと思う。
「四十過ぎたらいい気になって高いところから川に飛び込むなっ!」ww

それから約7年経った2021年4月上旬。左瞼が腫れ上がり眼からは涙が流れ続けている。花粉のせいだと思ってしばらく放置していたが、なかなか治らないので7年ぶりにまた『ほしあい眼科』に行った。
今回は眼にバイ菌が入って炎症を起こしているとの診断。マジかー。
それから1週間、私はすべての仕事をキャンセルして『絶対安静』に努めた。っていうより、明るいところで眼を開けられないので、そうせざるを得なかった、というのが本当のところ。なぜなら週末には1年2ヶ月ぶりのキャンプの予定があったから。
ー

私は普段は眼鏡の使用はしていないし、免許証も『眼鏡使用』にはなっていないが、日中の運転時には度付きのサングラスを使用している。白内障の手術をしているとやはりフツーの人より光が眩しく感じるためで、今までは透過率50%の『やや暗い』程度の色だったが、今回は例え眼が治りきらなくても、なんとしてもキャンプだけは行くぞ!と、『透過率85%』の1番暗いサングラスを作った。
ほしあい眼科で眼鏡処方箋を出してもらい、隣接のメガネ屋で1番安いフレームを選ぶが、やれ『乱視』やら、『カラー入れ』やら、『スーパーハードコーティング』やらと値段は増えていき、結局1本3万円。フツーのRay-Baより高くなってしまったが、まぁ仕方ない。
今回もまた2週間ほど仕事を休みずっと眼を閉じて過ごしていたが、総論としてこれだけは記しておこうと思う。。
「もういい歳なんだから、なんかおかしかったらすぐに医者へ行け!」ww
わかっちゃいるんだけどねぇ。
2021年04月20日
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話し①
朝、ベッドで目を開けたら「なんも見えねぇ!』という経験をしたことがあるだろうか?

7年前の夏、私は高知の清流・吉野川にいた。自身の誕生日祝いとしてmont-bellの主催する「日本一の激流吉野川ラフティングツアー」に参加するためだ。平日というのもあって8人乗りのラフトボートには妻と2人だけだったが(mont-bell店員さんが舵取り)、その日は台風明けで吉野川の水量は多く、「日本一の暴れ川」の名に偽りは無かった。声を掛け合いながら迫り来る急流ポイントへ果敢にアタック!鬼気迫る顔ながらも、それはそれは見事なファイトだった。

数々の急流ポイントをこなしたあとは、緩やかな流れのところで大岩からのダイブやカヌーに乗ったりと楽しい時間を過ごして、mont-bellのベースに戻りシャワーを浴びて夕方に解散した。

その日は兵庫県淡路島の『休暇村南淡路』に宿を取っていた。この休暇村はサイトが海の目の前にあり、今では予約もなかなか取れない人気のキャンプ場を併設しているが、当時の私は「真夏にキャンプなどしてられっかよっ!」だったので、朝・夕とも南あわじの新鮮な地魚が並ぶ「豪華海鮮ビュッフェ付プラン」をとても楽しみにウキウキしながら車を走らせていた。

ところが運転中に視界がやけに霞む。「まぁプールに入ったあとに目が霞むヤツと同じだな···」と何度も目をこすりながら走っていたが、淡路島にたどり着いた頃には、とても車を運転するような状態ではなくなっていた。

ホテル前の駐車場に車を停めて、妻の肩につかまりながらチェックイン。誰が見ても『盲目のお客さん』で、事実ほとんど見えていなかった。部屋に行くと早速妻は宿自慢の『展望露天風呂』に行ってくると言う。瀬戸内海の夕陽を見ながらの入浴はきっと最高だろう。それを想像したら「行かないで〜」と妻を止めるコトはできなかった。
妻が部屋に戻ったらおまちかねの「豪華海鮮ビュッフェ」の時間だ。妻に手をひかれながらダイニングへ。妻がお皿にいろいろ取ってきてくれて、私はそれを口に運ぶだけ。食事において「視覚」は重要な「美味しさ」の1つなんだなと改めて思わせる時間だった。

翌朝、起きた時に衝撃が走った。昨日までは白く濃いモヤがかかった感じだけど、目の前に人がいるとか、ここは窓、ここは扉、とぼんやり見えていたのだが、この時は「衝撃」というよりも「恐怖」の方が勝っていたかもしれない。墨汁がダラ〜と垂れているような、黒い液状のモノが私の視界を完全に奪っていた。
今まで生きてきた中で1番のパニック状態だったかもしれない。これが自宅ならまだしも、ここは兵庫県淡路島の田舎町。どうすればいいのか考えがまとまるまで数分かかった。
「そうだ、まずは『医者』だ。」
とはいえ、こんな島の片隅に病院は無く、まして『眼科医』などいるハズも無い。妻がスマホで調べると病院はここ南淡路市から3〜40km離れた島の中心部「洲本市」にあるコトがわかった。
「よし、行こう!」
私は視力の95%を失っていたが、右目の右下に5%ほどの視力が残されていた。もちろん信号は見えないし前方の車は見えないが、運転席に座るとかろうじてセンターラインがぼんやり見えている。私は妻に「よし、今からおまえは『人間カーナビ』になって道路状況を正確に俺に伝えてくれ。『海がキレイだね♡』とか『美味しそうな蕎麦屋さんがあるよ!』とかの情報は要らない。前方の車との距離と信号の色を中心に頼む!」
運転免許を持っていない妻にこれ以上のプレッシャーはなかっただろう。目の見えないドライバーが運転する車の助手席に座って、知らない町を30km先の病院まで案内するのだ。私もかすかに見えるセンターラインだけを頼りにアクセルを踏むが、かなりビビっって妻に話しかける口調が荒くなり、道中は怒鳴り合う局面が何度もあった。
島の南西部「南あわじ市」から反対側の「洲本市」までは幸いにも国道28号線の1本道。私はセンターラインで車を走らせる位置を確認しながら、妻は信号と前方の車の距離を私に伝える。「今、前の車ブレーキ踏みました。今、止まりました。」「左側に自転車走っています、あ、いなくなりました。信号『青』です。」。
そうして約30kmの道のりを3時間近くかけて昼頃に洲本市の眼医者に到着。医者から「2〜3日で見えてくると思いますよ〜」と言われたので、近くのマリーナにある高級リゾートホテルにチェックイン。妻は翌日会社出勤だったので、そこから神戸行きのバスに乗り新幹線で1度帰宅、私は丸3日間、妻が買ってくれたコンビニのパンとおにぎり・カップラーメンで、窓からヨットハーバーlの景色もテレビも見えないダブルの部屋で何も語らずに過ごした。

3日後、東京から妻がやって来た。「いや〜悪かったね。さぁ、帰ろうか。何だったんだろうね、あれ。」と迎えたかったのだが、私の目は墨汁の液がダラダラと垂れたまま。あのヤブ医者め。
仕方なく運転代行の業者が動き出す夜まで待って、私たちと車をもう1度四国に戻り徳島港のフェリー乗り場まで運んでもらい、フェリーの出発は翌朝なので港で一晩を過ごした。フェリー乗船時は、運転者以外車に乗っていることが出来ないのでここが最大の緊張時。乗船コースには誘導員もいるが、まさか「眼が見えないんです〜」とは言えず、なんとかわずかに見えている前の車に煽り運転さながらにピターっとくっついて無事乗船。さぁ、あとは『東京』に着いちまえばどうにかなる!と、ずっと何も見えないまま太平洋の海原を丸1日かけて東京の有明港へ向かった。

後半に続きます。
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話し②
https://seasonbest.naturum.ne.jp/e3409454.html

7年前の夏、私は高知の清流・吉野川にいた。自身の誕生日祝いとしてmont-bellの主催する「日本一の激流吉野川ラフティングツアー」に参加するためだ。平日というのもあって8人乗りのラフトボートには妻と2人だけだったが(mont-bell店員さんが舵取り)、その日は台風明けで吉野川の水量は多く、「日本一の暴れ川」の名に偽りは無かった。声を掛け合いながら迫り来る急流ポイントへ果敢にアタック!鬼気迫る顔ながらも、それはそれは見事なファイトだった。

モンベルアウトドアチャレンジ
https://event.montbell.jp/sp/plan/list.php?cid=12&gid=19
数々の急流ポイントをこなしたあとは、緩やかな流れのところで大岩からのダイブやカヌーに乗ったりと楽しい時間を過ごして、mont-bellのベースに戻りシャワーを浴びて夕方に解散した。

休暇村南淡路キャンプ場
その日は兵庫県淡路島の『休暇村南淡路』に宿を取っていた。この休暇村はサイトが海の目の前にあり、今では予約もなかなか取れない人気のキャンプ場を併設しているが、当時の私は「真夏にキャンプなどしてられっかよっ!」だったので、朝・夕とも南あわじの新鮮な地魚が並ぶ「豪華海鮮ビュッフェ付プラン」をとても楽しみにウキウキしながら車を走らせていた。

休暇村南淡路
https://www.qkamura.or.jp/sp/awaji/
ところが運転中に視界がやけに霞む。「まぁプールに入ったあとに目が霞むヤツと同じだな···」と何度も目をこすりながら走っていたが、淡路島にたどり着いた頃には、とても車を運転するような状態ではなくなっていた。

ホテル前の駐車場に車を停めて、妻の肩につかまりながらチェックイン。誰が見ても『盲目のお客さん』で、事実ほとんど見えていなかった。部屋に行くと早速妻は宿自慢の『展望露天風呂』に行ってくると言う。瀬戸内海の夕陽を見ながらの入浴はきっと最高だろう。それを想像したら「行かないで〜」と妻を止めるコトはできなかった。
妻が部屋に戻ったらおまちかねの「豪華海鮮ビュッフェ」の時間だ。妻に手をひかれながらダイニングへ。妻がお皿にいろいろ取ってきてくれて、私はそれを口に運ぶだけ。食事において「視覚」は重要な「美味しさ」の1つなんだなと改めて思わせる時間だった。

翌朝、起きた時に衝撃が走った。昨日までは白く濃いモヤがかかった感じだけど、目の前に人がいるとか、ここは窓、ここは扉、とぼんやり見えていたのだが、この時は「衝撃」というよりも「恐怖」の方が勝っていたかもしれない。墨汁がダラ〜と垂れているような、黒い液状のモノが私の視界を完全に奪っていた。
「うわ〜なんも見えねえええっ!」
今まで生きてきた中で1番のパニック状態だったかもしれない。これが自宅ならまだしも、ここは兵庫県淡路島の田舎町。どうすればいいのか考えがまとまるまで数分かかった。
「そうだ、まずは『医者』だ。」
とはいえ、こんな島の片隅に病院は無く、まして『眼科医』などいるハズも無い。妻がスマホで調べると病院はここ南淡路市から3〜40km離れた島の中心部「洲本市」にあるコトがわかった。
「よし、行こう!」
私は視力の95%を失っていたが、右目の右下に5%ほどの視力が残されていた。もちろん信号は見えないし前方の車は見えないが、運転席に座るとかろうじてセンターラインがぼんやり見えている。私は妻に「よし、今からおまえは『人間カーナビ』になって道路状況を正確に俺に伝えてくれ。『海がキレイだね♡』とか『美味しそうな蕎麦屋さんがあるよ!』とかの情報は要らない。前方の車との距離と信号の色を中心に頼む!」
運転免許を持っていない妻にこれ以上のプレッシャーはなかっただろう。目の見えないドライバーが運転する車の助手席に座って、知らない町を30km先の病院まで案内するのだ。私もかすかに見えるセンターラインだけを頼りにアクセルを踏むが、かなりビビっって妻に話しかける口調が荒くなり、道中は怒鳴り合う局面が何度もあった。
島の南西部「南あわじ市」から反対側の「洲本市」までは幸いにも国道28号線の1本道。私はセンターラインで車を走らせる位置を確認しながら、妻は信号と前方の車の距離を私に伝える。「今、前の車ブレーキ踏みました。今、止まりました。」「左側に自転車走っています、あ、いなくなりました。信号『青』です。」。
そうして約30kmの道のりを3時間近くかけて昼頃に洲本市の眼医者に到着。医者から「2〜3日で見えてくると思いますよ〜」と言われたので、近くのマリーナにある高級リゾートホテルにチェックイン。妻は翌日会社出勤だったので、そこから神戸行きのバスに乗り新幹線で1度帰宅、私は丸3日間、妻が買ってくれたコンビニのパンとおにぎり・カップラーメンで、窓からヨットハーバーlの景色もテレビも見えないダブルの部屋で何も語らずに過ごした。

淡路島・海のホテル島花
https://www.shimahana.com/
3日後、東京から妻がやって来た。「いや〜悪かったね。さぁ、帰ろうか。何だったんだろうね、あれ。」と迎えたかったのだが、私の目は墨汁の液がダラダラと垂れたまま。あのヤブ医者め。
仕方なく運転代行の業者が動き出す夜まで待って、私たちと車をもう1度四国に戻り徳島港のフェリー乗り場まで運んでもらい、フェリーの出発は翌朝なので港で一晩を過ごした。フェリー乗船時は、運転者以外車に乗っていることが出来ないのでここが最大の緊張時。乗船コースには誘導員もいるが、まさか「眼が見えないんです〜」とは言えず、なんとかわずかに見えている前の車に煽り運転さながらにピターっとくっついて無事乗船。さぁ、あとは『東京』に着いちまえばどうにかなる!と、ずっと何も見えないまま太平洋の海原を丸1日かけて東京の有明港へ向かった。

オーシャン東九フェリー
http://www.cs-cruise.co.jp/my/shikoku/ferry_OTF02.html
後半に続きます。
眼が見えなくて2週間なんも出来なかった話し②
https://seasonbest.naturum.ne.jp/e3409454.html