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Posted by naturum at

2017年02月21日

三陸鉄道北リアス線 伝説の駅弁は海の味。後編

陸中リアス式海岸の象徴「北山崎」。

日曜日というのに入口に並ぶ食堂やワカメ商店は閉まっていて閑散としている。




風は強いが太平洋を一望できる無料の展望台は断崖絶壁200Mの高さにあり、見ごたえある景勝地だ。



逆光が悔やまれる。


次に向かったのは震災の甚大な被害を受けた宮古市田老(たろう)地区。

全長1300M・高さ5Mを越える巨大な防潮堤の上で防災協会のガイドさんから話を聞く。

国の保存指定第1号となった「田老観光ホテル」の6階で、その部屋から撮られた巨大津波を大画面テレビで見た。




詳細をここに話すのは遠慮させていただくが、ガイドさんは泣きながら説明していた。

本当は見たくもないし話したくもないだろう。伝えていくことが使命と気丈に笑顔を見せている姿に参加者も涙した。


微力ながら応援していきます。これからも頑張ってください。

また、震災で不幸にも犠牲となられた方のご冥福をお祈り申し上げます。



バスは三陸鉄道北リアス線「普代駅」へ。

田舎の駅舎には待合室にストーブが置かれ、壁には地元普代村の星、東北楽天イーグルス銀次選手の写真が飾られ、熱い応援メッセージが書き込まれている。




ホームは風が冷たい。

1時間1本運行の久慈駅行き1両編成車がきた。

地元のおばちゃんや高校生も乗っている。

車内は色あせたあまちゃんのポスターが貼られ、トイレ・自販機も設置してある古めの汽動車。




運転士が車掌・運賃回収業務も行うワンマン運行だが

ひと駅ごとに観光ガイドやあまちゃんロケ情報までもアナウンスしてくれる。



警笛を鳴らしながら、のんびりといくつもの海沿いのトンネルをくぐって行く。

車窓には太平洋の大海原。時折見える小さな漁港。

景色の良いポイントでは車両を止めてまでガイドしてくれて手作り感満載だ。


五能線リゾートしらかみ号や伊豆クレイルみたいな豪華観光列車もいいけれど

三陸鉄道、負けてない!




約40分の楽しい時間はあっという間に終わり、汽車は終点久慈駅に着いた。

ホームにはたくさんの大漁旗が振られたベタなお出迎えだったがなんか嬉しい。


※読売旅行添乗員さん。


大きなJR久慈駅と並ぶ小さな三陸鉄道久慈駅。


だがここには駅弁マニアや鉄オタの垂涎の的となる駅弁が販売されている。



施設名:三陸リアス亭
住所:岩手県久慈市中央3-38三陸鉄道久慈駅舎内
TEL:0194-52-7310
営業時間:7:00-18:00
休館日:無休
料金:うに弁当1,470円


団体ツアーのなかで弁当を買うという単独行動ができるのか、しかし前日までに予約しておかなければ買えない幻の駅弁。

もし受けとる時間がなかったら妻が急に腹痛を訴え添乗員さんに泣きすがり、その間に私がリアス亭に駆け込む、という入念な事前打合せのもと前日に予約。

しかし確かに久慈駅では時間はなかったのだが、リアス亭は改札口横にあったのでツアー参加者達がぞろぞろと歩くなか、なんなく駅弁を受けとりシレっと集団に戻ることができた。


駅歩5分のところにある「あまちゃんハウス」で普代駅で別れたバスが待っていた。



郷土料理まめぶ汁が振る舞われた。


甘辛い汁に団子や厚揚げ、根菜・きのこがどっさり入った温まる田舎らしい汁だった。






ツアー最後のイベントも終わりバスは九戸ICから仙台駅へ向かう。




長い移動時間だったが高速道路上では東日本観光バス・ベテランガイドさんの岩手(南部)の話しなどに退屈することもなく1800に仙台駅到着。


朝のバイキングで飛ばしすぎた私達は昼ごはんをパスしていたが

あまちゃんハウスで振る舞われたミニまめぶ汁も、お代わりしてしまったので「ミニ」ではなくなりしっかりとした昼食になった。

結局、朝から終始満腹状態だった私達。久慈駅で仕入れた駅弁は復路の新幹線車内での夕食となった。




浄土ヶ浜レストハウスのホタテ弁当と三陸鉄道久慈駅リアス亭のウニ弁当を2人で半分づつ。

でもそれはツアー最後の食事を飾るにふさわしい豪華なディナーとなった。

ホタテ弁当には三陸の刻み昆布がふんだんに混ぜ込まれ、ウニ弁当はシンプルにウニのみが敷き詰められている。

レモンスライスが1枚置かれていて、ひと口食べたら爽やかな風味が広がり、海水しか味付けしていないウニの味は2日間かけて旅してきた三陸の海の味そのもののような気がした。





2018大宮駅着で2日間の弾丸ツアーは終了した。


修学旅行以来の団体バスツアー。

少し窮屈な部分もあるけれど、自分だけならまず行かないと思えるようなところにもたくさん行くことができて最高の想い出になった。


こうして「おでんせいわて2日間」の旅は「2017冬のごほうび」になったとさ。

どんどはれ。(おしまい)



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2017年02月20日

三陸鉄道北リアス線 弾丸ツアーに参加してみた。前編

2月18日(土)0740大宮発やまびこ123号乗車。




およそ90分で仙台駅だ。


「瀬音ゆかしき〜杜のみやこ〜♪」

初めて聴いたホームの発着メロディがこれからの旅に花を添えてくれる。


中央改札口横には「牛タン通り」に「すし通り」。

ふらふらっと吸い込まれそうになるが、今日は団体様御一行ツアーだ。

仙台駅キレイになったな〜なんて感心しているヒマもなく駅ロータリーで待つ大型バスに乗り仙台宮城ICから岩手方面へ。



南部藩に入るとどんよりとした空になり、ちらほらと雪が降り出した。

これから向かう河童や座敷童子などが登場する民話で知られる「遠野」にはピッタリの雰囲気だ。

高齢者が多いこのツアー。遠野が「かまいたちの夜・妖怪編(PS Vita)」の舞台であることを知っていたのはおそらくツアー参加者の中で私だけだろう。
一歩リードか。




しかし遠野伝承園で座敷わらしのような語り部さんが南部弁全開で話す民話は全く意味がわからずも高齢者達はきっちり反応している。
これでイーブンだ。





二代目カッパおじさんに誘われ「カッパ淵」へ。




高齢者達は竹竿にキュウリを結び、カッパを釣るため清流に糸を垂らす。




私はあまりの寒さに試合放棄。キリンビールのホップを栽培している畑を見ながらバスに戻った。



バス車中で昼食に仙台駅ウェルネス伯養軒の「はらこ飯弁当」。






長い移動を経てバスは宮古市の「浄土ヶ浜」に着いた。




6年前に訪れた時は丘の上にあるビジターセンターに車を停めて浜までレトロな乗合バスに運んでもらったが、道路も整備・復旧され観光バスは浜まで直行で降りていく。




木材に釘を打ち、入口や窓を閉鎖していた海辺のレストハウスはきれいな食事処と土産売場に生まれ変わっていた。

浄土ヶ浜の美しさに変わりはなかったが、観光客も増えてきてエサを目当てに集まる海猫が元気に飛び交う姿が嬉しかった。





夕暮れの浄土ヶ浜から10分くらいで宿泊地の休暇村陸中宮古へ。

姉ヶ崎キャンプ場を併設しているが、陽も落ちその寒さが見に行く足を止めた。

夜は三陸のホタテとワカメに的を絞って挑んだが、地産地消をウリにしているバイキングスタイルに心乱れ計画はあっけなく崩された。

数多くの三陸の恵みに手が伸びる。




派手さは無いが食べたいものをしっかり用意していてくれた料理に妻も大満足。部屋に戻って敷いてあった布団にそのままダイブした。


翌朝、出発が8時と早めのため朝食は0630から。




同宿クラブツーリズム団体様(約80名)との席争奪戦を制し、太平洋から昇る朝日に照らされながらの朝食をとることができた。



つづく  


2017年02月10日

行くぜ、東北。

「旅行読売」をパラパラとめくっていたら目に飛び込んだのが

「三陸に来て・見て・食べて・乗ってけろ!」



※画像:旅行読売出版社


おでんせ「いわて」旬彩味旅2日間
お一人様19,990円(20,000円でいいのに)

1日目
東京・上野・大宮駅→仙台駅→遠野(岩手)→浄土が浜→休暇村陸中宮古(泊)

2日目
田老地区(震災跡)→北山崎(リアス式海岸)→普代駅(三陸鉄道北リアス線)→久慈駅→仙台駅→東京・上野・大宮駅

という旅程のツアー。

ちなみに私は「あまちゃん」は見ていなかったし、伝説の駅弁「久慈駅うに弁当」を買いたかったワケでもない。募集ページに載せられていた海沿いを走る三陸鉄道汽道車の写真に目を奪われた。




2011年、テレビのCMがAC(公共広告機構)から通常の企業CMに戻り始めた頃、私は2週間の新潟出張を終え4日間の休暇をもらい東北をまわってきた。

妻に新幹線で新潟まで来てもらい車に乗せて国道7号を北上、初めての日本海に沈む夕陽を見てから庄内平野、秋田道を通り青森駅前に宿泊。




当初は八戸市を目指していたのだが、日程が厳しく翌日は酸ヶ湯温泉経由で八幡平に寄り、盛岡市白龍本店のじゃじゃ麺を体験して盛岡駅前に宿泊。






さてここからがこの旅の本当の目的が始まる。


1000年に1度と言われた東日本大震災。

その惨劇は各局連日で報道されてはいたが、場所は違えど自分も同じ揺れを体感した未曾有の大地震爪跡をどうしても自分の目で見ておきたかった。

盛岡市から宮古市浄土が浜に向かう。道中は快晴で綺麗な川沿いを走る気持ちの良いドライブだった。

だが市内に入ると私達2人は言葉を失った。

3.11から5ヶ月も経っているのに。釜石・陸前高田・気仙沼もひどかった。ばかデカい建造物が道路に倒れたままだし、大きな船が陸地に何隻も乗り上げている。また市と市を結ぶ国道沿いのいたるところに積み上げられたガレキの山々。奇跡の1本松も近寄れない。

そんな中、プレハブで簡易的に作った小さなLAWSONが頑張って営業しているのがとても印象的だった。


南下を続けてたどり着いた南三陸町は町自体が消滅していた。
道路は多少造成されていた部分はあったが、まだいたるところに海水が残っている。最後まで避難指示の放送を続けていた南三陸町防災庁舎の鉄骨がまだむき出しになったままだった。




日本三景・松島では被害がほとんど見られなかったことに少し安堵して国分町で牛タン定食、秋保で日帰り温泉入浴後仙台市内泊。

翌日、名取市に出るまでに高速道路の脇の田んぼにひっくり返った船と廃墟と化した街並みを目にした。

住宅は無数にあるのに誰1人いない。

倒壊してる家も多く腐敗臭もひどかった。

さらに南下して当時は連日騒がれていた避難地域に向かった。のどかな里山だがやはり人はいない。民家はガラスが割れ、田んぼは荒れ果てていた。

集落の車1台がなんとか通れるような小道を進んでいって浪江町との町境に近づくとそこには警官が立っていた。こんな道まで塞ぐのかと思いながら引き返しそのまま帰路についた。

岩手の宮古市から福島の南相馬市まで。あのときはその惨状に、見ておいてよかったなぁ、という気にはあまりなれなかった。


あれからもうすぐ6年。ようやく復興の知らせもちらほら耳にするようになってきた。

まあ動機はなんであれ、現地に出向くことが1番の応援と信じて人生初のツアー旅行に参加してみることにした。


復興の象徴になっている三陸鉄道の汽車の車窓からはどんな風景が見られるのだろう。

頑張ろう東北!