病名:慢性腎不全(CKD)
これが私の診断書に書かれた病名だった。
3年前の健康診断で異常値が出てから様々な経過を経てここに行き着いた。
人間の体に腎臓は2つある。腎臓は体の水分量を調整して血液の塩分や毒素を体外に出して血圧をコントロールしたり、血液を造るホルモンを分泌したり・・・等々。
まあ生きていくには不可欠のモノである。
そこが壊れてしまえば上記の逆の症状が体を襲う。
3年前の健康診断では極度の貧血が見られた。
2年前は全身にむくみが出て、68Kgだった体重が84Kgになった。(2週間の入院・利尿剤で対応)
血圧は180前後。
※低たんぱくごはん 1600kcal/day
腎臓はその機能が50%を切るまで自覚症状は出ない。
この時点で私の推算糸球体濾過量(eGFR)は16%。
15%を切ると「G5」ランクに昇格、医師から「腎不全」と診断され腎臓移植か人工透析の選択を迫られる。
他に血液中のクレアチニン(Cr)という腎不全の診断目安になる数値がある。
正常な人で1.0以下。5.0で透析準備(利き腕の逆にシャント作成)、10.0で透析開始。
クレアチニン=毒素と思っていただいてほぼ間違いはない。
高い数値で放っておけば数日で尿毒症が全身にまわり天に召されるだろう。
私は水分制限と低たんぱく米や塩分摂生で約1年間2.0〜3.0を死守していたが(保存期)、
クレアチニン数値よりも、貧血や軽い尿毒症による体のダルさが深刻だった。
階段は登れない、食事はとれない、寝ても覚めても気持ち悪いし、なにもやる気がおきない・・・。
私の主治医は心配性で(その方が良い)、早めのシャント作成(透析用の血管を腕に造る手術)、
早めの透析移行を勧めていたが、
私は「透析だけは少しでも延ばしたい」と提言を受け入れなかった。(今思えばバカ)
ただ昨年も年越しキャンプに出かけたが、テント設営後は1週間ずっと寝ていたことしか覚えていない。
キャンプから帰ってきてからも体調は悪くなるばかりで、緊急時のことも考えて渋々1月末にシャント作成の手術を受けておいた。
2月になってからは口からアンモニア臭さえ自覚するようになった。
100mも歩けない。
5分も立っていられない。
横になると喉の奥からヒューヒューと音が出る(肺に水が貯まっている)。
そして後で聞いたのだが、救急車に運ばれた日、私はまさかの「インフルエンザ」に感染していた。
風邪や熱は腎臓に極度の負担をかけ、空前の灯火だった私の腎機能を著しく低下させていた。(搬送時Cr11.8)
それにより尿毒症は加速度を増し、インフルエンザと共に心不全を誘発したのだ。もうボロボロ。笑
その時はまだシャント手術を行ったばかりで使うことができず、
埼玉医療センターでは首の動脈に穿刺して緊急透析したらしい。
数日して容体も落ち着き、そこから主治医のいる総合病院に医師立ち会いで救急車で搬送、2週間の導入透析を行った。
この入院で筋力も奪われ、3日間は車イス、残りは歩行器を使ってのリハビリとこれからの透析生活の為と心不全も起こしていたので、負担のかかる心臓のカテーテル検査を行った。
総合病院でもICUに入れられ、24時間ピッ、ピッ、ピッ・・・という音と共に過ごした。
口に酸素吸入マスク、腕に点滴、体と足にいろいろなコードを貼られ寝返る筋力もない。
夜は暗い天井を見つめ、毎週ゴルフに明け暮れていた頃を思いだして涙した。
妻は頼みもしないが毎日来てくれた。
大丈夫だよと断ったが、本当は顔を見ることが1番嬉しかった。
声が出なかったので筆談で話した。
1時間程度しか面会時間がないのに、仕事を終えて電車とバスを乗り継ぎ、寒空の中に来てくれた。
ベッドの横に座り、弱音を聞いてくれて、励ましてくれて、また明日くるねと毎日言ってくれた。
言葉にできないほどの感謝。おそらく私は彼女に一生頭が上がらないかもしれない。
あのときは本当にありがとう。
あれから1年。長いようで短かった。
こんな体になってしまったけど、今はこうして元気に生きている。
ありがとう。