2016年2月8日
ちょうど1年前、私は救急車で運ばれていた。
なんか調子が悪いので病院に行くと妻にメール。車のエンジンをかけたけど、次第に息苦しくなって意識が遠のいていく。
「マズい、運転なんかできない・・・。きゅ、救急車!」
119番に初めて電話した。まともに声を出せなかったけど、なんとか自分のいる場所は伝えることができた。数分で遠くからサイレンの音。
「あれ?このまま死んじゃうのか!?」
隊員が救急車を降りて私を探している。私は声を出すことも車から出ることもできず、ひれ伏していたハンドルのクラクションを何度も押した。
隊員は駆け寄り、私は車から降ろされると同時にストレッチャーに乗せられ救急車へ。すぐにパルスオキシメーターを指にはめて血中酸素濃度を計測。隊員が顔をしかめ「75%・・・」と言ったのが車内の最後の記憶。
目を開けたら集中治療室。両手両足に点滴やら機材の線が無数に貼られ、口にはテレビで見たことのある人工呼吸器がシューシューと強制的に私を呼吸させている。(心不全NYHA3度)
横を向くことも出来ない状況の私の視野に妻の顔が入ってきた。
「俺はなんでここにいるの!?ってか、ここはどこ?」
聞きたいけど声は出ない、出せない。必死で目で訴えるが、伝わるのは映画やドラマの世界。だけど一生懸命に話そうとする私に妻は手を握ってくれた。
「お・れ・は・し・ぬ・の・?」
今までに「指文字」なんてノロけたことはしたことないが、妻は的確に読み取ってくれた。
そして心配かけまいと軽く笑みを浮かべながら先生を呼び、
医師の口から「死にませんよ〜」と聞かせてくれた。
それを聞いた私は安心したのか、その後3日間程度眠り続けた。
後に聞いたのだが、私が病院に運ばれたのが正午頃。最初の病院では対応できず埼玉医療センター(自治医大付属病院)へ。
妻が何度も何度も私の携帯に電話をして、医師から事情を聞いたのが深夜未明。タクシーでかけつけ「死なないよ〜」と言ってくれた医師から別室では心の準備をしておくように言われたそうだ。さぞかし驚いたし怖かっただろう。
そんなことを医師から聞いた後、患者に笑顔を見せることなど私にはできやしない。やはり妻は1枚上手なのだろう。スゴいなぁ。
そんな1年前の出来事ですが、こうしてまだ生きている喜びと、これからの挑戦、そして妻への感謝を「旅日記」として綴ってみたくなりブログ開設の運びとなりました。
古い携帯電話からの更新なので機能もかなり制限されているようですが頑張ってみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。